熊本での豪雨災害について

熊本での豪雨災害について

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一般社団法人震災復興支援協会つながり の 勝又三成代表が熊本の被災地で頑張っています。

「【被災者で天災の保険に入ってなかった人が沢山いますが、[なぜ?]と聞き返してしまう。こんだけ全国で災害が続いて更には九州、なんで天災に効く保険にはいってないの。。。】
危機感まったくなし。」

とのことですが、自分も同感です。

 災害にあうとは、不運(アンラッキー)という考えもありますが、
天が人々に与えた不徳に対する天罰であるという考えが昔からあります。

 なぜなら、その「地震」「津波」「台風」で人が死に、街が破壊され、その被害が拡大してしまうのは、その「備え」が不十分であり、
かつ、社会や経済のありようが「脆弱」であったからです。

 そして、人々が被害にあう原因は、自然ではなく、その多くは「人工物」にあります。すなわち、地震で人が死ぬのは、ほとんどは、人工物である「建物」が壊れて、その下敷きになる、「建物」が燃えて、焼け死ぬなどです。

 仮に、1万年前の社会で、人々が原野に暮らしていた時代であり、せいぜい、簡単な木と藁でつくった弥生時代の住居なのであれば、地震で壊れて下敷きになっても人が死ぬことは無いでしょう。

また、経済の問題も「貨幣」という人々が人為的に作り出した、システムがおかしくなったことで発生している社会現象にすぎません。すなわち、1万年前であれば、このような問題は発生しなかったという事です。

 すなわち、私が言いたいことは、自然災害は自然であるが、被害は人工物が原因で発生するので、結局は、過去に、そういう将来被害が発生するような物ないしは状況を生み出した人々の間違った行動がある、ということです。

 天災は人々の不徳に対する天罰である。天罰というと、何やら非科学的に思うかもしれませんが、よくよく考えると、天罰と捉えるならば、きわめて合理的に社会の改善がうまれます。

巨大な災害の被害を目の当たりにした人々は、自らの備えの不十分さに思いを致し、深く「反省」し、社会のあり方を改善していく努力を始めなければならないわけです。

そして、そうした反省と、改善努力は、人々が、それを天罰と捉えれば捉えるほど、大きくなります。

しかし、それを天罰と捉えず、単なる「アンラッキー(不運)」と人々がとらえるならば、どれだけ被害が大きくても、何の反省も、改善努力もしません。

 今の社会は、災害被害にあうのは「不幸(不運)」なことであり、被害者だという意識の方々ほとんどであります。従いまして、多くの場合は、東日本大震災においても、熊本地震においても 経営持続力強化計画、事業継続計画(BCP)等をつくろうとか、そういう話にはならないです。

 すなわち、政府のすすめている国土強靭化政策を、国民が無視している、という事です。経営持続力強化計画、事業継続計画(BCP)等の備えをせずに、災害など起こってから考えればいいという人たちが、案の定、困窮してリるのが今の実態です。

 災害で、新型コロナで売り上げが減っていることに対して、自分は不幸だ、不運だ、と考える人、不満ばかり言っている経営者がいます。そういう人は、経営者としての資格が無いと思います。

 自分が備えが無いことを反省して、そして、政府の進める災害対策に真剣に向かい合う、そういう人が、将来の安心・安全の日本を築き上げてゆくのだろうと思います。

 備えあれば憂いなしですが、備えなければ、憂いありというのは当たり前のことです。私は、災害後の対応もさることながら、真面目に、災害対策をしたいという人たちを「災害前」にお手伝いする支援を実施したいと思っています。災害の現場の最前線で努力する仲間の為にも、災害に強い社会をつくるため頑張ります。

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